社会のすみっこから

趣味からメンタルヘルスまで、なんか気になったことを書きます。

メンタルヘルスどつぼ記③

さあ半年ぶりに更新です。

さぼっていたわけでもなんでもあるのですが、

半年間書くことも、書くモチベーションもなかったのは確かです。

 

以前書いたとおり、三環系抗うつ薬を試していて全く効果が得られないどころか、

実は双極性障害だったことが明らかになり、(わかるのはこれでも早い方)

双極性障害には三環系を使ってはいけないというマイナス点がありました。

ラピッドサイクラーという一年のうちに躁鬱を何度も繰り返す状態になってしまうからです。

 

現にこれを書いている今も躁鬱に悩まされています。

だからといってお医者さんを恨んだりはしません。

トポグラフィーなどの方法もあるにせよ、精神的な病は血液検査のように数値で表すことが困難なので、

今どういう状態なのか、逐一メモを残しておいてそれを元にお医者さんと相談をして、

手探りで薬をのんでいきました。

 

以前にも精神的にやられてしまって、体のコントロールが効かなくなってしまったとき

藁をもすがる思いで、広告をバンバンだして、著作物もバンバン出しているクリニックに行きました。

 

そこではとにかく金金金。

こちらの意図を汲み取ってくれないどころか、診療も流れ作業。

薬をもらうためだけのところでした。

たまたま担当の医師がいないときに、当時の院長先生に診てもらい、

親身に聞いてくれたかと思いきや、処方箋みてぶったまげる量の薬を処方されて

もう行くのはやめました。

執拗にカウンセリングもすすめてきたので、一度受けてみたものの

ほとんどアマチュアなのではないか?と疑うレベルのものでした。

30分で5000円とか払うならキャバクラでも行ったほうがマシなレベル。

 

その時はアンチ心療内科になり、かといって薬を飲まずにはいられないのでどうしたものかと考えていたところ、東洋医学のお世話になることにしました。

鍼灸や漢方、じわりじわりと効いていき、薬をほとんど飲まずに過ごせるようになりました。

ここで寛解したと思い込んだ自分がよくなかったのかもしれません。

 

自分にたくさんの負荷をかけて、そして最大のショックをうけて、自分の中で何かがおかしくなるのを感じました。

最初の医者で薬ドーンと出されていたときから、実は躁うつ病双極性障害だった可能性が高かったのです。

 

心療内科では大体最初は「うつ病」を診断され、SSRIなどの薬を処方されます。

今の先生は、「今まで飲んだことのある薬と、どういう効果があったか、思い出せるだけ言ってみてください」と、今の状況を丁寧に聞いてくれて、その上で可能性を絞っていきました。

 

今でも通っていますが、とても信頼のおける先生です。

たまに「ん?」ってこともあるけれど、着実に前へ進めている気がするので

ありがたいことです。

前に進むたびにアレコレ見つかってくることもあります。

自分の場合は双極性障害がわかったのと、もしかしたら統合失調症の可能性もあると言われました。

突然ぶっ飛んだ行動に走るかもしれないので、躁状態のうちに遺書を書き残しておきました。

鬱状態だとなんも考えられないからです。

 

これを読まれている方の中にも精神的に参ってしまっている方もいるかもしれません。

すぐに心療内科にかかりたくなる気持ちもわかります。

ただ、目をみて話さず薬を投げつけてくるような病院からは一刻も早く逃げたほうがいいです。

初手を誤ると、10年間単位でドブに捨てることになりかねません。

どうか気をつけてください。

メンタルヘルスどつぼ記②

前回のつづきです。

 

ところが急に両親がガンでぶっ倒れました。

ちょうど転職先が決まったところだったのですが、両親を介護しなければならず、

負担の少ない融通の利く仕事に切り替えることにしました。

 

仕事はそんなに忙しくはなかったのですが、病院が遠く、

休みの日は両親のどちらかを連れて車で検査や治療に向かっていました。

その甲斐あってか父親はさっさと治り、もう母親の介護に専念できると思って、

今の楽な仕事をしつつ、次の転職先を考え、母親が治ったら家を出て行こうと思っていました。

行き当たりばったりな人生ですが、自分にとっては母親はとにかく大事な存在だったし、

両親も何度も離婚しかけていたので、これを機に母親連れて楽させてあげようと画策していました。

 

日に日に母親の容態は悪化していきました。

父親は母親に迷惑ばかりかけていたので、あてにならず、(本人に自覚がない)

自分1人で支えていかなければならないと、そう心に誓って仕事と病院を行ったり来たりする生活を

数年間続けました。

その間に自分のキャパを超えてしまったのか、それに気づかなかったのか、揺り戻したのか、

かつてのあの感覚が戻ってきました。

しかし自分は倒れるわけにはいかない。弱いところをみせるわけにはいかない。

薬漬けにもなりたくない。だが体は明らかに悲鳴をあげはじめている。

 

再び心療内科の門を叩き、ごく微量の抗不安薬だけ処方してもらい、

仕事、病院、仕事、病院の生活をなんとかキープし続けました。

 

しかしもともと末期だった母親はどんどん悪化していき、

2年前に亡くなってしまいました。

 

堰き止めていたダムが決壊するかのように自分の精神状態はおかしくなり始めました。

お葬式の次の日から仕事をバリバリこなすようになり、

すさまじい万能感が湧き上がってきました。

当時はきっと母親がパワーをくれているんだろうと言い聞かせていましたが、

その年の暮れに自分のベルトで吊れる輪っかを作るくらい落ち込みました。

急にうつ状態がやってきたのです。

 

それから再び心療内科通いがスタートしました。

今思えば最初に万能感があったときに行けばよかったのかもしれませんが、

そんなの気づくこともできませんでした。

まして周りに相談できるような人はいない(父親とは疎遠)なので、一人で戦い始める外なかったのです。

 

肉親を失うという喪失感からくる、抑うつ状態という判断で

でも前の医者で飲んだ薬はやめてくれ、と相談しつつ、少ない薬の選択肢と認知行動療法を取り入れ

死にたいと思う鬱よりちょっとましくらいの生活を送り続けてきました。

 

そのときから今まで飲んだ薬は

レキソタン

リフレックス(合わずに即やめ)

ドグマチール

イフェクサー

アモキサン

トフラニール

・ラミクタール

マイスリー

トリアゾラム

・ルネスタ

・ベルソムラ

 

もうポケモンでもコンプリートするのかよってくらい薬を飲んできましたが、

ここの先生は必ず最低量からスタートして、合う合わないをしっかり見極めてから次の薬、という

ごくごく普通の向き合い方をしてくれました。

 

最初は仕事に支障がでるので抑うつ状態をなんとかしたい、という要望で

レキソタンドグマチールを処方されました。

眠気が強く、ただ惰性で飲んでいるドグマチールは半年ほどでやめました。

もともと不眠持ちなので、マイスリーは手放せなかったのですが、

耐性ができてしまったのが、効きが悪くなり、プラスアルファでルネスタやベルソムラといった薬も試しました。

たしかに効果はあったものの、薬価が高いことと、ベルソムラは悪夢を見やすくなって

かえって疲れてしまうのでこれもまたやめてもらいました。

 

抑うつ状態を脱出するために、第一選択となるのはSSRI、特にパキシルがよく使われるそうですが、

自分の場合とにかく合わなかったことと、離脱症状がさらに厳しかったのでそれだけはやめて欲しいと要求して、まずはリフレックス(NaSSA)から始めました。

 

ところがこれも合わない。飲んでは吐き気が強く、めまいとダルさが辛く、でも選択肢がどんどん絞られてくるプレッシャーからかしばらく飲み続けていました。

このあたりでさらに身体がおかしくなり始めました。

なんだか、無理。という絶望感が押し寄せてくるのです。

 

ついに全く起き上がれない日が何日も続くようになり、

仕事もろくに行けなく、これでは職場の人に申し訳ないと思い

休職を選択しました。

 

その間自分の中では、どうしても良くなりたい、という気持ちが強く

リフレックスとは違う薬で、休める環境はあるので何か徹底的に良くなれそうなものはないだろうかと相談し、

今度はイフェクサーSNRI)を試すことにしました。

比較的新しい薬で、副作用も少なく、意欲の低下などに効果が期待できる、とのことで

これならゆっくり休んでしっかり薬を飲んで、良くなるだろうと思い飲み続けました。

結果、副作用もなければ、これといった効果もありませんでした。

ん?ちょっと気分がいいのかな?といった程度で、感覚としては飴でも食べてるような感じでした。

休職期間は1ヶ月だけだったのですが、全く効果が現れず、

期間を延長しようとも思いましたが、延長したところで収入も減るし、

今度は生きていくのに支障がでるため強行で勤務に戻りました。

 

イフェクサーも効かないとなると・・・

これでSSRISNRI、NaSSAコンプリートしたことになり、

自分は詐病なんじゃないかとも疑いはじめました。

鬱でもなんでもなくて、百歩譲って、身体のどこか悪いんじゃないかとも考えたりしました。

でも、なんも異常がない。

 

それなら、ということで今度はアモキサン(三環系抗うつ薬)を試すことに。

これが漸く当たり!自分の中で何か回復していく実感を初めて得られました。

朝の日差しはいつもより綺麗に見えるし、全く動けなくなる日も少しずつ減っていきました。

これなら寛解に至るかもしれない・・・そう考えていたのですが・・・・。

 

次回に続きます。

メンタルヘルスどつぼ記①

自己紹介でも触れましたが私は精神を患っています。

かれこれ10年になるでしょうか、様々な薬を飲んでまいりました。

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最初のキッカケは大学院時代でのパワハラモラハラが原因でした。

人のせいにしてはならないですが、頭の中で何かがプツンと切れる瞬間がありました。

あぁ、これはやばい。本当に世界から色が抜け落ちていく。

ふと近所の歩道橋が目に入ったり、死ぬなぁ何もしたくないなぁという気持ちに支配されて

かといって大それたことをして両親に迷惑をかけたくもないので、

慌てて心療内科に問い合わせました。

 

CMを打ちまくってるところですぐ診てもらえるとのことで、

藁にもすがる思いでかかりました。

その時のお医者さんがとにかくハズレだった。

はい次このお薬、はい次このお薬ね、という感じで流れ作業+カウンセリングを鬼のように勧めてくる

守銭奴かよオイといった雰囲気で、挙句薬を1ダースかなこれ?ってくらい出された時に

薬で身が滅ぼされると思い、転院することにしました。

もっとも鬱状態になるのは診断が難しいから、アレコレ試さないと効果がわからないというのも

仕方のないことかもしれません。

 

ここでは以下の薬を飲みました。

パキシル

ジェイゾロフト

デパス

リーマス

・リーゼ

エビリファイ

ドグマチール

メイラックス

マイスリー

ロヒプノール

 

こうやって改めて並べてみると、一般的な抗うつ薬の手順は踏んでいたんだなぁと思います。

ただ、量がエゲツなかった。こんなに飲むの??ってくらい出されて、言われるがままに飲んで、

「いやーきついっす」って言うと補うようにまた増えて、これでもダメならカウンセリングだねぇと

どんどん貯金が減っていきました。カウンセリングは全く役に立ちませんでした。

 

それから転院して減薬に取り組み、漢方や鍼灸など身体に良いことを取り入れ、

所謂寛解という状態に持ち込むことができました。ここまでで大体3〜4年くらいかかりました。

 

この時期は割と安定していたと思います。不眠が残っているくらいで、仕事も苦にならないし、

心の波は穏やかでした。

 

ちょっと長くなりそうなので続きは次回に書きたいと思います。